★ 各種講演会・自由学校「講座」

 有識者、ジャーナリスト、学者、NPOなどからの講演・講座を行います。

【5月市民講演会】リベラル再起動のために
           〜 アメリカの属国を越えよう 〜

 ―5.13 白井聡(しらいさとし)さん(京都精華大学・講師)―

 5月13日の白井聡さんの講演は、安倍政権の底知れない腐敗。一方では朝鮮戦争を終わらせる南北合意の変化。歴史と現実に大胆に切り込む内容で、日本の絶望と希望の真相を語り、参加者を魅了しました。

末期症状の戦後「国体」
Photo  思想史研究者の私が現実政治と関わるきっかけは、やはり「3.11」の衝撃だった。漠然と原子力が危険だとは認識していたが、科学者や官僚のエリートを信用しちゃんと管理していると思っていた。ところがそれは幻影だった。しかも原子力分野だけではなく社会全体が空洞化している、という現実を突き付けられた。

天皇とアメリカ
 何故こんなおかしなことになっているのかを考えると、結局のところあの戦争の未処理という問題に行き着くと確信した。言い換えれば日本は悪しきものとしての天皇制を克服したのかという問題であり、そして戦後にも「国体」は生きている。
 しかしそれは戦前の国体と同じものではない。決定的違いは、戦後の「国体」とは日米安保体制を基礎とする対米従属の構造である。つまり頂点にアメリカを戴く構造である点だ。戦後アメリカは日本に対する占領支配に天皇を利用し、昭和天皇は天皇制を維持するために積極的にアメリカに協力した。

「国体」が生む思考停止
Photo  「国体」という概念は、戦前の天皇制が、日本は「万世一系」の天皇が家長を務める永遠の家族と定めたように、永続すると人々に思い込ませるものだ。そこから思考停止が始まる。戦後日本の外交はアメリカ頼みの思考停止を続けてきたが、官僚機構もメディアも同様だ。
 それは今や肥大化した感のある現役世代の政治的無関心にも現れている。目の前の生活・仕事に追いまくられてしまう現実」。きつい現実があってもなぜそうなのか考えないでまだ政府や官僚が何とかしてくれると思っている。思考停止で空っぽなのに。「国体」が社会と人間を劣化させている。

「お言葉」の意義申し立てと朝鮮戦争の終結
 戦前の天皇制が無謀な戦争で崩壊したように、戦後の「国体」も限界に直面して崩壊過程に入っている。日米安保体制の存在理由は東西対立だったが冷戦は終わった。ところが日本政府はその後も国益に反してアメリカにつき従っている。集団的自衛権の行使、異様な隷属だ。
 崩壊期に入っているということは「国体」に呪縛された歴史からの脱却する好機だ。朝鮮戦争が終わるなら米軍が日本いる根拠が一つなくなる。いずれにしろ歴史の転換の可能性を現実へと転化できる力は市民にしかない。



【8月市民講演会】前川喜平さん、「教育と憲法」を語る。
           ― 国民の主権者として ―

 ―8.5 前川喜平(まえかわきへい)さん(元・文部科学省事務次官)―

 8月5日、野々市市文化会館で前川喜平さんの「教育と憲法」を語ると題して、1000名を超える観客の大盛況のもとで市民講演会が開かれた。前川さんは冒頭、杉田水脈国会議員が「LGBTの人たちは生産性がない」と雑誌に記載したことを取り上げ、人間それぞれかけがえのない価値を持っていおり、「優劣は存在しない」と厳しく指弾した。
 その後も前川さんは自分の文部科学省時代における安倍政権のあり方を実例を出しながら、問題点を指摘し今の政権のままでは危険だ。道徳教育については「個」を大事にする教育が必要だ、と主張された。以下、要約内容を記載する。

偏差別見をなくすことは教育の使命
Photo  杉田議員は「LGBTの人たちは子どもを産めない。だから生産性がない」と発言しているが、地域社会の中で差別・偏見をなくすことは教育の大きな使命である。
 文部科学省では被差別部落の問題など差別的用語を使わないなどイロハのイとして研修している。文部科学省で弱いのは外国人、特に在日コリアンの人たちへの取り組みである。むしろ政府自らが差別を煽っている。官製ヘイトと云ってもよい。また性的マイノリティの人たちへの認識はこの10年間でようやく進んできたが、社会的にはまだまだ認知されていない現状がある。
 私が局長のときに文部科学省が初めて行ったトランスジェンダーの全国調査では600件以上の報告があったが、氷山の一角であり、実際にはもっと多くのトランスジェンダーがいるはずだ。少数者の方は実際に存在しているのは事実だ。これを「趣味の問題」と発言した男性の国会議員がいたが、これも大きな問題だ。全くの誤解であり、当事者のアイデンテイの問題だ。そのまま認めなければならない。それが個人の尊厳だ。
 文部科学省の政策が前向きに進んだこともあり、ユネスコが性的マイノリティの子ども達とそれを取り巻く暴力に関する国際会議を開催した。私も呼ばれてこの国際会議の議長を務めたことがある。
 世界中に目を向けると性的マイノリティに対する認識や取り組みには大きな格差がある。この分野でオランダとともに先進的な国は南アフリカで、アパルトヘイトの後、1996年に憲法が作られた。南アフリカでは憲法起草にあたり、世界中の憲法を取り寄せてよいものをピックアップし、それを自分たちの国の憲法に取り込むか否かを検討した。日本の憲法も取り寄せ、9条は立派なことが書かれていると評価された。
 そしてどの国の憲法にも書かれていない大事なことを盛り込んだ。私が印象に残ったのは、一つは「水に対する権利、水を得ることができる権利」であり、もう一つが「性的マイノリティを差別してはいけない」である。南アフリカは多民族国家であり、世界中でここまで書いている国はない。

社会権としての人権規定
 日本国憲法では「人類」という言葉が何度も出てくる。前文には「人類普遍の原理」という表現もあるように「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と書かれている。
 日本の憲法をもし変えるのであれば、南アフリカのように世界中の憲法を取り寄せて、比較憲法学の視点からいいものを取り入れることから始めるべきだ。私は「水に対する権利」や「性的マノリティを差別してはいけない」などは憲法に加えた方がいいと思う。
 日本国憲法はアメリカから押し付けられたと云われるが、アメリカの憲法には生存権や教育を受ける権利などの社会権規定がない。生存権規定がないからアメリカでは社会保障が発達しない。日本のような国民皆保険もできない。この意味でアメリカの憲法は「20世紀の憲法」に追いついていない。

安倍一強体制は非常に危ない
Photo  一強体制が永続するのは危険なことだ。強い政権が長く続くと暴走が始まる。これを阻むため憲法は三権分立を設けているはずだが、これが効かなくなっている。
 加計学園問題は安倍政権によって行政が、国政が私物化されたことに他ならない。加計さんというお友達のために極めて例外的に特権的に獣医学部を作らせてあげた。本来であれば認められないことが認められてしまった。
 私は不公正、不公平、不透明と云っていますが、ちゃんとした公正な審査をしていない。獣医学部の開設には他のどこの大学も実施していない条件があったはず。また京都産業大学という強力なライバルがあり、すぐれた開設計画を持っていたが、後付けの条件(広域的に獣医学部が存在しない地域に限る、平成30年度開設でなければならない)で排除した。
 2016年6月時点から加計学園が国家戦略特区ワーキンググループに参加していたにもかかわらず、加計学園の名前は議事録から完全に隠ぺいされた。総理は初めて加計学園の獣医学部の開設計画を知ったのは2017年1月20日と答弁したが、これはどう考えてもウソだ。今年4、5月に愛媛県から出てきた文書でそうでないことが完全に明らかになった。
 森友学園問題では総理及び総理夫人が関与していることはかなりの蓋然性がある。加計学園ほどはっきりと証明されていないが、あれだけの文書の改ざんや捏造、隠ぺいを行なったというのは財務省の役人だけの判断ではない。佐川さんが一人でやったとは到底考えられない。官邸から何らかの指示があったからだと思う。

学習権で一番大事なことは自由権
 学習権で一番大事なことは自由権である。学ぶことはいつ、どこでも、だれでも自由である。学校教育では学習指導要領という大綱的基準≠フ枠内でやってください。1976年の教科書検定訴訟の最高裁でも「国は教育内容に対する関与は抑制的でなければならない」と云っている。国家の介入は許さないということが教育基本法のなかに「教育は不当な支配に服することなく行われなければならない」と判決に書かれている。
 不当な支配が問題になった事件がある。東京都立七生養護学校事件で、2011年に東京高裁で判決が確定している。この学校では、知的障害のある子ども達のために教職員が独自の工夫で性教育プログラムを開発し、教材をつくり、歌で自分の身体を知るという優れた実践をしていた。これに対し、一部の都議会議員が「過激な性教育だ」「日本の家族の在り方に反する」と猛烈に非難した。また、当時の都知事や教育長も迎合するような答弁おこない、都教育委員会は学習指導要領違反で教職員を処分した。
 東京高裁の判決では、「この学校の性教育に対して介入した政治家の行動は、教育基本法が禁じている不当な支配にあたる」と指摘、都議会議員らに損害賠償を求めた。また都教育委員会の処分はやり過ぎと損害賠償を求めた。判決文では「学習指導要領違反にはあたらない。学習指導要領は一言一句守らなければならないのではない。大まかな基準」と云っている。本来、教育行政は不当な支配から教育の現場を守らなければいけないのに都教育委員会はその保護義務を怠ったと判断された。この東京高裁判決は非常にすぐれた判決である。
 今年2月に私は名古屋市の中学校に呼ばれて講演した。この講演会に対して文科省が一部の政治家の圧力を受けて、講演データの提出を求めるなど介入してきたが、名古屋市教育員会も当該の中学校校長も非常にすぐれた対応をされた。校長は記者会見で次のように話された。「子ども達が自分で考え、自分で判断できるよう主体性を育てなければならない。主体性のある子ども達を育てるには教師自身が主体性を持たなければならない」と。まったく同感です。
 学習権は本来、自由権である。自由に学ぶことが根底にある。国の関与は抑制的であらねばならない

夜間中学校の実際
Photo  義務教育未修了者は全国で百数十万人と報告されている。1980年代の政府の調査でも70万人という報告がある。つまり義務教育を受けていない人は想像以上に多い。この人たちのニーズに応えてきたのが、夜間中学校である。残念ながら北陸3県には1校もない。全国でも8都道府県25自治体31校しかない。来年、埼玉県川口市と千葉県松戸市に新しい夜間中学校ができる。夜間中学校の新規開設は何十年ぶりで画期的な出来事です。
 従来は不登校のまま15歳の春を迎え、実質的に学んでいなくても「形式卒業者」となり、夜間中学校には再入学できなかったが、この取扱いを改めて「形式卒業者」も夜間中学に再入学できる通知を3年前に出した。遅きに失したと思う。
 現在、文科省は全都道府県で1校以上の夜間中学を作る方向を打ち出しており、各都道府県で作ればよい。従来は小中学校をつくることが前提だったが、昨年3月に法律改正があり、都道府県が夜間中学をつくった場合も国庫負担することに変更された。石川県教育委員会でもぜひ考えてほしい。

教育こそが憲法の理想を実現する
 教育が憲法の理想を実現する。この表現は1947年の教育基本法の前文にしっかりと書かれていた。「われらが先に日本国憲法を確立し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は根本において教育の力に負うものである」
 憲法の理想の根源にあるのは個人の尊厳である。個人を犠牲にして国家を支えるとか、国家を強くするという考え方はとらない。一人ひとりのいのちや幸せを実現することが国家の本来の役割である。
 私は学校という学びの場が個人の尊重を最大限に重んじて、人権を尊重する場所にならなければならないと思う。そのうえで人権教育をキチンとやること。道徳教育は人権教育であるべき。
 もう一つは平和教育である。平和のための教育は非常に大切だ。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)憲章の前文には「戦争は無知から生じる」と書かれている。ユネスコでは平和を維持するためには教育や科学、文化という分野で国境を越えて、人間と人間が精神的につながることが大事。それによって本来の「平和の砦」ができるという考え方でつくられている。
 有名な言葉「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」がある。本当の平和は様々な国民が心と心でつながっていくことによって初めて維持されるものである。
 ミサイル迎撃システム、イージスアシュワを買うことではない。2機買うと5000億円になると報道されているが、国民はもっと怒るべきだ。イージスアシュワが本当に日本の平和に役立つのか疑問だ。抑止力で平和を維持する考え方は19世紀的な考え方だ。みんなで軍縮をしていこう、核についてもなくしていこうと考えなければ平和は訪れない。軍事均衡で平和を保とうというのは単に産軍複合体を富ませるだけだ。イージスアシュワをつくっている会社はどこか、誰が儲かるかを考えれば分かることだ。



【10月市民講演会】米朝首脳会談と朝鮮半島情勢。そして日本の課題

【日時】
Photo  2018年10月14日(日)14時〜16時
【場所】
 金沢市:石川県教育会館第1会議室
【講師】
 平井久志(ひらいひさし)さん
   共同通信客員論説委員
【事前のお申し込み】
 不要、どなたでも御自由に参加下さい。
【参加費】
 1,000円